不動産のさくら
株式会社 櫻不動産
4月号  №107
発行日 平成24年3月23日
こんにちは皆様。この3月は東日本大震災から1年でした。新聞、テレビで記事やニュースを見るたびに、改めてあの悲しい出来事に心が痛みました。そして、復興にはまだまだ時間がかかります。私も日本国中の皆が、ある人は勇気づける、ある人はボランティア活動、ある人はお祈り、ある人は寄付、ある人は・・・と、それぞれ自分にできることをすることが復興への近道ではないかと考えます。 来年の今ごろにはどれだけ復興が進んでいるのでしょうか?私もできることを精一杯していきたいと思っております。それでは4月号スタートしましょう。

♪ みずいろの雨 ♪

さんご存知でしょうか?「みずいろの雨」という曲。今の20代から30代の方はご存知ないかも知れませんね。この曲は約30年ほど前に大ヒットした曲で、八神純子さんという歌手が歌っていました。私も大好きな歌手で、当時はレコードも持っていました。(「レコード」って知っていますよね?)八神さんは素晴らしい歌声で、当時ヒット曲をたくさん出していたのです。(ちなみに、私は八神さんの曲の中では特に「ポーラスター」という曲が大好きでした。)
レビの「ザ・ベストテン」という歌番組では司会の久米宏氏と黒柳徹子さんによく冗談でいびられて、いつも笑っていた、とっても明るい女性でした。その後、八神さんはヒット曲を数多く手がけたのですが、アメリカ人の方と結婚して、日本を離れアメリカでの生活になりました。なので、日本ではすっかりなじみがなくなってしまったのです。
ット曲を連発して日本でバリバリ活動したのは3年くらいではないでしょうか?いなくなってしまい、当時の私はとても残念な気持ちでした
いうことで、なんで今さら八神純子さんの話をするのかと言いますと、日本を20年以上はなれ、アメリカでの生活をしていた八神さんが、1年前の東日本大震災の2日後には日本に帰国し、ラジオで‘求められたなら、どこへでも歌いに行きます!!’と宣言し、被災地に向かい、つぎつぎとチャリティー活動を始めたからなのです。
災後すぐに日本に戻ってきた八神さんは「こんなにも日本がいとおしいと思うなんて・・・」と自分でも不思議な気持ちだった、とおっしゃっていました。義務や強制ではなく、ごくごく自然に復興の力になれるよう、身体が勝手に行動したようです
地ではもちろん八神さんのヒット曲を歌うのですが、「みずいろの雨」だけは歌詞の中に‘くずれてしまえ’とか‘あとかたもなく流されて行く’という部分があり、津波を連想させてしまうので歌わなかったそうです。
かし、被災された方からはなぜ「みずいろの雨」を歌わないの?と残念がられたそうです。やはり八神さんの大ヒット曲ですから皆さんは期待していたようですね。八神さんは改めて歌の力を思い知ったそうです。
の後のチャリティー講演では「みずいろの雨」も歌いました。そしてクリスマス近くにはいろいろなクリスマスソングも歌ったそうです。また、自分の歌だけではなく被災者の気持ちに寄り添える歌を選んで歌いました。それを聞いて涙を流す被災者の方がいらしたそうです。
神さんの魅力は何と言ってもあの素晴らしく美しい高い声。なので自分の曲はもちろん、あの声で歌う他の歌手の歌もきっと素晴らしく聞こえたことでしょう。被災者の方にとって、八神さんのチャリティーははげみになり、また楽しいひとときだったと思います。
ろいろな方が、それぞれのやり方で復興の応援をしていますが、八神さんのような方は、やはり影響力が大きく、ほんとうに被災者の方たちのはげみなりますね。八神さん、これからもどうぞよろしくお願いしますね。

して私たち。八神さんとはくらべようもありませんが、でも、はじめにお話させていただいたとおり、私も「皆が自分でできることをそれぞれがすることがいい」と思うのですよ。 ということで皆さん、これからも皆で復興の応援をしていきましょう!!


☆ おばちゃん、おおきに!! ☆

る電車での出来事。私はとある沿線の駅で電車が来るのを待っていました。そして普通電車が到着。電車に乗り、すいていたので座席に座ろうとしたとその時、おしりの下で何か、ごつごつとするものにあたりました
~ん?!とのぞいて見てみると、ひょうがらのカバンでした。なんと、となりのおばちゃんが私が座る前にとっさに置いたカバンでした。そしておばちゃんは私を見てニタ~っと笑い、‘ちょっと~○○さ~ん!ここあいてるでえ~!!’と(むりやり空けたのですが・・・)友達のおばちゃんを呼んで、私が座ろうとした場所に座らせたのでした・・・。そして私は、できるだけ冷静をよそおい、自然にその隣に座ったのです。
の後、2人並んで、まあ~よくしゃべること。(当たり前ですが)しかも、にんにくの臭いをプンプンとさせて上機嫌。さっきおいしい焼肉を食べてきたようです。(キムチもおいしかったそうです。←どこの店か聞きたかった・・・。)
ると目の前に10代と思われる女の子が通りがかりました。超ミニスカート姿で、おばちゃんはすかさず、‘ほらほら見てみ~、あの子、パンツ見えそうやで!!最近の若い子はこんなんかいな!ほんま、どないなっとんのかいな~!’と聞こえるくらいの声で話し、さらに‘うちの嫁さんもどうのこうの・・・’と、息子さんの奥さんのことを大きな声で話し出しました。
まあ、こんな感じで降りるまで、漫才をしてくれたのですね。私はとなりで本を読みながら?(もちろん読めません・・・。)むりやり話を聞かされながら?(思いっきり聞き耳たてて聞いていました・・・。)大阪漫才を満喫させていただきました。いや~、ほんまにテレビに出てきそうな、そんなおばちゃん2人でしたよ。(ウソではありません。ほんとの話です!!)
日も東京に行きましたが、やはり東京は駅も電車の中もお上品ですね。それはそれでいいのですが、でも、やっぱり私はこんな大阪が好きだなあ~。おばちゃん、おおきに!!


◇ 卒業・・・。 ◇

よいよ、我が家の長男坊がこの3月に小学校を卒業しました。長男坊はどちらかというとおとなしいタイプの子なので、保育園から小学校に入学したときは心配で心配で、一人で学校行けるのだろうか?友達ができるのだろうか?と不安な日々でした
学後すぐに次男坊と近所の小川で遊んでいたとき、近所のちょっと年上の子供のたちのおたまじゃくしの入ったバケツをこぼしてしまい、その子供たちに運動ぐつを川に捨てられて、泣いて帰ってきたことがあり、ますます心配な日々でした。
ころが、1年生の担任の先生が小さい児童の気持ちをくんで指導してくれる、ほんとうによく面倒をよくみてくれる先生で、安心して学校に行かせることができたのです。2年生もその先生が担任になり、さらに安心でした。3年生では恐~い、ベテランの男の先生でした。長男坊も初めて学校の厳しさを学びました。(でもこの先生だけが、その後ずっと暑中見舞いと年賀状を毎年送ってくれます。)4年生の担任の先生がまた中堅どころのいい先生で、生徒1人ずつの性格を把握し、クラスを見事にまとめてくれました。このころはいきいきと学校に行っていました。5年生ではまたまたベテランの恐い?厳しい女性の先生になりましたが、長男坊はこの先生には気に入ってもらえたようで、1年間ほんとうに楽しそうでした。そして最後の6年生は、自身の成長もあり友達もたくさんでき、またしっかりした男の先生に受け持ってもらい、何の問題もなく最後の1年をすごし、ここに無事、卒業することができたのですね。
うして考えると、やっぱり学校の先生って大変ですね。私の子供の通っていた小学校に関しては、世間で言われているような先生たちや学校の問題は何もありませんでした。ほんと、先生たちが一生懸命に教育してくれたおかげです先生たちに心から感謝です
して、最後のサッカー。前にもお話したとおり、6年生になってメンバーが足らなくなり、6年生の試合がほとんどできませんでした。しかし、となりの小学校のチームに参加させてもらい、助けてもらい、長男坊がキャプテンをした2月の最後の大きなサッカー大会で、なんと6位トーナメントで優勝できたのですよ。
位トーナメントとはいえ、72チームが参加した大きな大会です。しかも、順位を決めるPK戦で1回負けただけで、予選から「4勝1敗3引き分け」という好成績でした。トーナメント準決勝は、手に汗にぎるPK戦となり、長男坊はキャプテンとしてPK戦(PKとは、ける人と守る人との一対一の勝負)のプレッシャーのかかる一番手で見事ゴールを決め、そして勝ちました。(私も心のなかで‘神様お願い!!’とどきどきしながら祈りました・・・。)
ッカーでは、大好きな仲間との別れ、試合ができない、というつらいことがたくさんあったのですが、助けてくれたとなりの小学校チームのおかげで、最後にサッカーの神様が「6位トーナメント優勝」という大きなプレゼントをくれたのですね。神様ありがとう・・・。
ということで、長男坊の小学校6年間が終わりました。子育てを終えた諸先輩の方々に聞くと、中学生になると手を離れていくとのこと。寂しいかぎりですね・・・。


§ 編集後記 §

先月号の小春だよりではストレスの記事での感想が多く、皆様のストレスへの関心が高いことを知りました。‘ストレスはなくならない’と知ったわけですから、これからはストレスホルモンが出たときに、早く回復させるセロトニン神経を活発させる身体を一緒につくっていきましょうよ!!
セロトニン神経を活発にさせる「何かリズムのある活動」は何でもいいと思うのです。「寝る前にほんの10秒だけゆっくり息を吸って、すう~っと出す」など、何でも、気楽に、手軽に、重く考えずにする!ことが大事です。さらっ~としてみましょう。
また、涙を流すのもいい、とのことなので、たまには「韓流ドラマ」でも見ておお泣き?!する、とかでもいいと思います。とにかく、何でもやってみましょうよ!!

その後の次男坊のホワイトデー報告。

初めてチョコレートをもらい、あれほど張り切っていたのにお返しを渡すのはあっさりしていたようです。“これお返し。ありがとうな!ほな!”って、“3秒で渡した!!”と言っていました・・・。
まあ、こんなものかなあ~。まだ、小学生だもんなあ~。
ま、とにかく、もらったチョコレートを「犬のえさ」にするような男にだけはしないと・・・。(↑↑↑また言ってる・・・。泣。)


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